急ぎの用件があるとき、「電話番号を教えてもらえますか」という一言は、ごく自然な依頼に聞こえる。チャットより電話のほうが早い場面は、確かにある。
社員がこの依頼に応じるとき、渡すのは会社の内線か、会社が貸与した携帯の番号であることが多い。仕事用の番号なので、仕事の連絡が来ても、何も特別なことは起きない。
外部の協力者が同じ依頼に応じるとき、渡す番号は、ほとんどの場合、自分の個人の携帯電話だ。家族からの連絡も、友人とのやり取りも、プライベートの時間に使う番号と、同じ一本の線になる。
「ちょっと電話で」が、生活の境界を越えてくる
仕事用と私用が分かれている社員にとって、仕事の電話は、オンとオフを切り替えるきっかけになる。鳴った電話が、自分の生活の深いところまで入り込むことはない。
外部の協力者にとって、電話番号を渡すことは、自分の生活そのものへの入り口を渡すことに近い。土曜の夕方に鳴る着信が、仕事の用件なのか、家族からなのか、画面を見るまで分からない。平日の夜、プライベートの食事中にかかってくる電話も、同じ番号を通ってやってくる。
この境界のなさは、電話番号を渡した瞬間から、ずっと続く。
教えないという選択も、気まずさを伴う
番号を教えたくないと思っても、「教えられません」と言うことには、ためらいが伴う。
「この人は連絡がつきにくい」という印象を持たれるのではないか、という不安がある。信頼関係を築いている途中であればあるほど、断ることが、相手との距離を測る行為のように感じられる。だから多くの場合、外部の協力者は、多少の抵抗を飲み込んで、個人の番号を教える。
発注する側にとって、この重みは見えにくい
発注する側にとって、電話番号を尋ねることは、連絡手段を一つ増やすだけの、些細な行為だ。相手がその番号を通じて、どれだけ自分の生活を開くことになるかは、意識されにくい。
この見えにくさが、無自覄な連絡の頻度につながることがある。急ぎでもない用件を、「電話のほうが早いから」と、気軽にかけてしまう。相手にとっては、生活の境界を越えてくる着信が、少しずつ積み重なっていく。
電話より先に、使っていい時間帯を決める
番号を教えてもらうこと自体は、悪いことではない。問題は、その番号をどう扱うかの前提が、共有されていないことにある。
電話番号を交換するときに、「何時から何時までなら、電話してよいか」「どんな用件なら電話で、どんな用件ならチャットで構わないか」を、最初に一言、決めておく。この一言があるだけで、外部の協力者は、着信のたびに「これは何だろう」と身構えずに済む。
記録に残る手段を、デフォルトにする
もう一つの対応は、電話を「最後の手段」として位置づけることだ。多くの連絡は、チャットやタスクのコメントで足りる。本当に急ぎで、記録を待てない場合だけ、電話を使う。
この順序を決めておくだけで、電話番号を交換する必要そのものが、大きく減る。外部の協力者が、自分の生活の境界を差し出さずに済む場面が増える。
Paqutでは、タスクのコメントでやり取りが完結するので、急ぎでない連絡のために電話番号を交換する必要が減ります。本当に急ぎの連絡だけを、電話に残せます。
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