入社したばかりの新人は、先輩に敬語で話す。半年もすれば、言葉は少しずつくだけていく。1年後には、雑談も混じるようになる。誰かが意図して距離を縮めたわけではない。日々の細かいやり取りが積み重なって、自然とそうなる。

外部の協力者とは、これが起きないことがある。3年一緒にプロジェクトを回していても、初日と同じ丁寧さでメッセージが届く。仕事の質は信頼できると分かっているのに、言葉の距離だけが、ずっと同じ場所に留まっている。

距離を縮めるのは、時間ではなく回数

言葉がくだけていくのは、時間が経過したからではない。小さいやり取りが、何度も繰り返されたからだ。

廊下ですれ違う。ランチの誘いを断る。誰かの雑談に相槌を打つ。会議の前に世間話をする。これらは、仕事の本題とは関係のない、無意味に見えるやり取りだ。しかしこの積み重ねが、人と人との距離を少しずつ削っていく。

社内では、この機会が勝手に発生する。同じ空間にいるだけで、無意味なやり取りが自然に生まれる。外部の協力者とは、この機会がそもそも存在しない。連絡は用件があるときだけ。用件がなければ、何も起きない。

用件だけのやり取りは、距離を保存する

外部の協力者との連絡は、たいてい目的がある。依頼する、確認する、報告を受け取る。目的がある会話は、目的が終われば終わる。雑談に流れることがない。

この効率の良さは、仕事を進める上では利点だ。しかし、関係を縮める機会がまったく生まれないという副作用もある。同じ相手と何年やり取りしても、会話の温度は初日のまま保存される。

丁寧さそのものは悪いことではない。問題は、丁寧さが「まだ距離がある関係」のサインとして固定されたままになることだ。実際にはもう何年も信頼して仕事を任せている相手なのに、言葉の上ではいつまでも「初めましての相手」のように扱い続けてしまう。

距離が縮まらないと、頼み方も変わらない

言葉の距離は、依頼の仕方にも影響する。

近い関係になった相手には、「ちょっとこれ見てもらえる?」と軽く頼める。距離が縮まらない相手には、毎回きちんとした依頼文を書く。この差は、負担の差でもある。軽く頼めない関係は、小さな相談ほど「わざわざ言うほどのことでもないか」と飲み込まれやすい。

結果として、外部の協力者に相談されるのは、ある程度まとまった話だけになる。ちょっとした違和感、気づいたこと、小さな提案——距離が縮まっていれば軽く出てきたはずの情報が、距離が縮まらないせいで出てこない。

意図的に、無意味なやり取りを混ぜる

対応策は、意図的に無意味なやり取りを作ることだ。

用件のついでに、一言雑談を添える。プロジェクトの本筋と関係ない話題を、たまに振ってみる。感謝を、業務連絡とは別の言葉で伝える。これらは、社内なら自然に発生していたはずのものを、意図的に設計し直す作業だ。

わざとらしく見えるかもしれない。しかし、放っておいても自然には発生しない関係では、わざとらしくてもやる価値がある。無意味なやり取りの蓄積だけが、言葉の距離を動かす。

敬語が取れることは、ゴールではない

敬語を崩すこと自体が目的ではない。丁寧な言葉のまま、信頼の厚い関係を築いている人たちもいる。

大事なのは、距離を縮める機会が、外部の協力者との関係では自然に発生しないという事実に気づくことだ。気づいていれば、意図的に機会を作れる。気づいていなければ、何年経っても初日のままの関係が続き、その理由を「なんとなく相性が合わないのかもしれない」と誤解してしまう。

距離は、相性の問題ではない。機会が設計されていないだけのことが多い。


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